ドラキュラ
ルーマニアというと、必ず言われるのが「ドラキュラ」。これしか有名なものがない、といってしまえばそれまででしょうか・・。
ドラキュラとは、 イギリス の作家、 ブラム・ストーカー の小説「吸血鬼 ドラキュラ 」に登場する男性吸血鬼のこと。
このドラキュラ伯爵のモデルになったのが、 15世紀 ワラキア公のヴラド・ツェペシュ(串刺し王公)と言われている。
このドラキュラの名称はというと、彼の父親は ドラゴン騎士団の騎士であったため、「Dracul」(ドラクル、竜公)と呼ばれていました。
その「竜公の息子」、つまり「竜の子」という意味で彼は、Dracula= ドラキュラと呼ばれていたのです。
さてこの時代、ワラキア公国は、神聖ローマ帝国やオスマントルコの脅威にさらされていました。
彼もそんな時代の波の中、オスマントルコでの人質生活や父、兄の暗殺、 モルドヴァへの亡命を経験。時により、オスマントルコ側につき、時には、ハンガリー側へと。
弱小国が巨大国に翻弄されていたという感じ
彼が2度目のワラキア公についたときには、オスマントルコを敵に回すことに。
ついにある日、オスマントルコが攻め入ってきたのである。が、どう考えても不利。オスマントルコに比べ、武器も数も劣っていたのです。
そこで、考えたのが夜襲、ゲリラ戦。
オスマントルコ軍と同じ衣服、鎧を身に着けた兵士達が、夜の闇にまぎれてオスマントルコ軍を襲います。
また、ヴラド・ツェペシュはスルタン(オスマントルコの王)のテントに入り、スルタン殺害を計画。このとき、スルタンは殺害できず、間違って弟を殺害したのみで終わったといいます。
が、夜襲自体は大成功。
さらに彼は見せしめのために、敵を串刺し刑に処したのである。それも、生きたまま串刺しにし、出血多量で死んでいくようにしたと、言われています。(かなり残酷!!
それを見たオスマントルコ軍は、すっかり戦意を失い、撤退したといわれています。
このことから、彼は「串刺し公」とあだ名されるようになり、近隣諸国にその残虐性とともに名をしらしめることになります。
ルーマニアでは、オスマントルコと戦い抜き、国を守った名君としていわゆる英雄扱い。
さて、そんな彼の最後は、諸説あり。
相方が信じているのは、理容師に喉を切られて死んだという話(いわゆる暗殺です)であるが、他にもオスマントルコと戦いその最中に戦死したなどがあります。真実は闇の中でしょか?
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←ドラキュラ城と呼ばれているが、実際の名前はブラン城。 彼の祖父が所有していたことがあるが、ヴラド・ツェペシュとの関係は・・・。 幼少時代に滞在したことがある、または、青年期に一時匿われていたなどという話がありますが、あまり関係はなかったもよう。 城というよりも、国境の道路の関所を、崖から守るために築かれたものらしいです。 |
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ヴラド・ツェペシュの肖像。 お土産屋さんによく売っています |
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ドラキュラの人形。こちらもお土産用。 |
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| ドラキュラ伯爵―ルーマニアにおける正しい史伝
ニコラエ ストイチェスク (著) 祖国の統一と独立に献身したワラキア公の業績を歴史的に究明し、フィクションの「ドラキュラ」との差異にも言及する、出色の評伝。 |
吸血鬼ドラキュラ
ブラム ストーカー (著) いわずと知れたドラキュラの原点?となった小説 |
『ドラキュラ公』ヴラド・ツェペシュ
清水 正晴 (著) ワラキアの救世主血煙の中の英雄『串刺し公』の真実。オスマン=トルコと戦い祖国の危機を救った英雄『ドラキュラ公』の生涯。 |
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